同名のものが入り込み、本来のものが何処かへ消えてしまった重要型
最初の記事(https://bunka-bujutsu.com/haffa/)で書いたように糸東流にはハッファ、二十八歩[ニーパイポ]、八歩連[パープーレン]という白鶴拳及び白鶴拳系の型が存在するが、実はこの中で八歩連がある意味で一番厄介な存在である。現在の糸東会では大きく分けて2種類の八歩連があるようだが、実は片方は呉賢貴の伝えた八歩連と全く関係がなく、もう片方は呉が伝えた八歩連と関係性はあるものの、呉が使っていた元々の八歩連ではない可能性が高い。今回の記事では前編と後編に分け、その2種類の八歩連と鳴鶴拳の八歩連について一つ一つ解説していき、その問題を明らかにしたい。
2010年頃に糸東会に持ち込まれ広まった型
上の動画は八歩連[パープーレン]として2010年頃に糸東会に導入され急速に広まった型である。現在型競技で頻繁に使用されているパープーレンは、細部をこの動画より見栄えよく改変した型である。
この型は糸東流と関係の深い流派から糸東会に移籍してきた某師範から持ち込まれた。確か2010年に兵庫県で行われた師範講習会だったと記憶しているが(私は兄弟子に連れていってもらい参加していた。)、「糸東会で曖昧な存在になっているアーナンクー、松村セーサン、パープーレンの3つの型を正式に導入します」といった内容のアナウンスがその師範よりなされ、その日は松村セーサンとパープーレンの講習が行われた。その師範より「このパープーレンは台湾の黄性賢老師の系統のもの」と説明があったが、黄性賢系統も含め鳴鶴拳の八歩連と全く違う型だったので困惑したのを覚えている。なぜ違うと言いきれるのかというと、私は台湾で黄性賢の弟子の鄭顕氣老師を訪ねて八歩連を見せていただいたことがあったし(この師範講習会より後日になるが、再訪問で教えてもいただいた)、そのずっと以前から鳴鶴拳全般について調べていたからである。これはだいぶ後で知ったことだが、この型はその移籍してきた師範の先生にあたる人物が台湾出身の蔡長庚に習い、後に台湾の張程有の元で確認した型だということだった。良い型だとは思うが、完全に応用型の部類であり、鳴鶴拳の基本型である八歩連とは似ても似つかず、八歩連の名前的意味にも符合しない。また、技術内容的にも鳴鶴拳系とは別門派である。台中市に住んでいたという張程有の鶴拳の門派名は不明だが、おそらくこの型には別の名前があったのではないだろうか(可能性は高くないが、もし百歩連ならまだ意味的には納得ができるし、一と百の音が混同して型の名前が変わった例は他の福建系鶴拳に実際にある)。いずれにせよ、呉賢貴と全く関係がない型を八歩連[パープーレン]として糸東会に導入してしまったことには非常に問題があると言わざるを得ない。
パープーレンという型が糸東流にある(もしくはあった)こと自体は少なくない人が知っていた。しかし、その内容はほとんどの人が知らなかった(実質、失伝に近い状態だった)。そこにパープーレンと呼ばれる型が導入されることになり、説明も最もらしい。中国武術のことをほとんど知らない人達はこれがパープーレンだと思って抵抗なく受け入れてしまった。と、こんなところではないだろうか。
但し、もちろん違和感を持つ人達もいたわけで、その人達は摩文仁賢和から谷長次郎(後に谷派糸東流を興した人物)に伝わったと思われる型を同時期に急遽導入した。谷長次郎の八歩連の型内容は辻川禎親(摩文仁賢和に直接教えを受け、晩年は糸東会の元老も務めた)が記録しており、この導入時期にその記録のコピーも出回った。末端である私も所持している)。私は参加していないが、前述の師範講習会の後に開かれた別の講習会でこの八歩連の指導がすぐにあったようで「この前のパープーレンと別のパープーレンを習ったよ」と兄弟子が習ったものを見せてくれた。その内容は某師範が持ちこんだ型とは違い、鳴鶴拳の八歩連に演武線や手法で近いところはあるが、やはり鳴鶴拳系のものとは違うと言わざるを得ないものであった。後編ではこの八歩連と鳴鶴拳の八歩連について解説すると共に、なぜ糸東流で元々の八歩連が失伝に近い状態になったのかも考察していく。
なお、前編の最後に文中にも名前が出てきた黄性賢(鶴拳では鳴鶴拳創始者の謝崇祥及び別系統の潘椿年に師事)系統の八歩連の動画を紹介するので、興味のある方は冒頭の動画と見比べていただきたい。黄性賢系統の鳴鶴拳は他の鶴拳や太極拳の影響があるので現在の福建省のものとは風格に違いがあるが、流れ自体は変わっていない。糸東流に導入された(名前だけが同名の)門派不明の八歩連が鳴鶴拳のものと全く別物であることは一目瞭然である。